売れない芸人を主人公に「笑いとは何か」を突きつめ、人間の愚かさや生きる痛みを描き切った小説『火花』。
同作は、お笑いコンビ「ピース」の一人・又吉直樹のデビュー小説として大きな話題を呼びました。掲載誌の『文學界』は大増刷、第28回三島由紀夫賞候補作となるほか、第153回芥川龍之介賞を受賞するという大ヒット作品に。
2016年には林遣都主演でNetflixと吉本興業によって映像化。2017年には板尾創路監督により菅田将暉と桐谷健太のダブル主演で映画化されたのでご存知の方も多いでしょう。
実はその『火花』の前に、すでに又吉直樹氏が着手していたという小説があります。それが今回ご紹介する『劇場』です。
大阪から東京に出て、小劇場で夢を追い続けながらも理想と現実のギャップに苦しむ永田と、同じく地方から上京してきたものの東京の暮らしに疲弊していく沙希。
結晶のような純粋さをもつ二人の想いがときにもどかしく、ときに痛く突き刺さる。
胸の底をざらざらこすり続けるような、又吉直樹氏の文章表現にも注目の一冊です。
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それでは『劇場』について、紹介していきましょう。
映像化もされた又吉直樹氏の『劇場』はこんな人におススメ!
『劇場』をおすすめしたいのはこんな人です。
- 夢を追っている人、かつて追っていた人
- 心理描写が濃い文学作品が好きな人
- 一体恋愛とは何か? 考えている人
『劇場』も2020年に、山崎賢人×松岡茉優主演で映画化されています。原作と映画ではラストが違うので、気になる方は両方チェックしてみましょう◎
『劇場』のあらすじ
高校卒業後、大阪から上京した主人公・永田は友人と共に劇団「おろか」を旗揚げします。しかし、演出家として永田が作る舞台は酷評の嵐でした。ストイックに自分が望む演劇の姿を突き詰めて行く永田は、理想と現実のギャップに苦しみます。
そんなとき、永田は同じく地方から上京した大学生の沙希に出会いました。一目で運命を感じた永田は初対面の沙紀に慣れないながらアプローチし、二人は付き合うことに。
けれど、劇団の評価は上がるどころか落ちる一方、永田はとうとう劇団員たちからも愛想をつかされてしまいます。そんな永田を全て受け入れ、優しく認めてくれる沙希。「すごいよ、すごいよ」と繰り返し言ってくれる沙希に、やがて永田は……。
愛しているのに素直になれない。こんなにも表現したいものがあるのに、周囲に認めてもらえない。何もかもうまくいかない現実が、いつしか周囲の大切な人たちを傷つけていく。
「一番会いたい人に会いに行く。こんな当たり前のことが、なんでできへんかったんやろな」
『劇場』又吉直樹 より
すべての夢を追う人たちへ、かつて追っていた人たちへ。
苦しいほど胸に刺さる、青春の哀歌です。
『劇場』のレビュー
太宰治が好きな作者だからこそ、こんなにも「ダメ男」が書けるのかもしれない。
そう思わなければ読み進めるのが苦しいほどに、主人公の永田は「しんどい人」でした。友人が付き合うと言ったら、絶対止めるだろうなと思うほど、意固地なほどに自分を変えない、周囲と歩幅を合わせることができない人。芸術的な才能はあるのかもしれないけれど、結局プライドや自己顕示欲の高さからくる偏屈が強すぎて、よほどの幸運が舞い込まない限り売れることは難しいタイプのように思えます。
しかもお金もないし、何より彼女を大切に思いながら行動が伴わない。
だんだん沙希がなぜ永田に惹かれるのか分からなくなってきます。実はラスト近くまで、もやもやしっぱなしでした。しかしラスト、まさかと思うほど涙があふれて止まらくなってしまったのです。
私の脳裏に浮かんだのは、映画『男はつらいよ』で、フーテンの寅さんこと車寅次郎(渥美清)が、お金があったら何がしたいかと妹・さくら(倍賞千恵子)に問われて、歌手になりたくて各地のキャバレー回りをしているリリー(浅丘ルリ子)の夢をかなえてやりたいと語るシーンです。
(大意)「(金があったら)リリーに真っ白いドレスを着せて大きな舞台で思い切り歌を歌わせてやりたい。スポットライトを浴びて、そりゃああいつは美人で目がぱっちりしているから、よく映えるんですよ。客席からは『待ってました!よ、日本一!』と歓声があがるね。そして歌がはじまったら、みんなシーンとして聞きほれちゃう。リリーの歌は悲しいからね、みんな泣いちゃうね。やがて歌が終わったら拍手喝さい、花束、テープ……。リリーはきっと泣くだろうな、気の強いあいつでもきっと涙を流すだろうなあ……」
『男はつらいよ』シリーズ屈指の名台詞といわれるこの寅さんの言葉。実際の寅さんの台詞はもっと名調子で、ステージに立つ白いドレス姿の美しいリリーが目に浮かぶように楽し気なのですが、聞いているほうはなぜか泣けてくるのです。なぜこんなにも切なくなるのか。それは大切な人ができたとき、人は自分の無力さを痛感するしかないからでしょう。
寅さんは心からリリーの幸せを願い、その晴れ舞台を望んでいるのに、フーテン(定職をもたずふらふらと暮らしている人)の身の上ではそれを叶えてやることは決してできないのです。
ああ、本当にお金さえあれば…。
――いや、お金さえあれば何もかも叶えられるのでしょうか?
もう一つ浮かんだのは、池田理代子『オルフェイスの窓』に登場する、モーリッツ。彼は金持ちの息子であることから、子分を従えて誰にでも横柄で意地悪な態度。何でも親に言えば自分の思い通りになると思いあがっている少年でした。
しかし彼にも転機が訪れます。初めて恋した少女が病気で余命いくばくもないと知ったとき、彼は医者を呼び高価な薬を与えようとしますが、今までの彼の態度が災いして拒絶されてしまいます。それでも、高熱にうなされる彼女のため、神に祈りながら必死でバケツをもって何度も真冬の戸外へ雪を汲みに出ます。けれど、どんな努力もむなしく、少女の命はついえてしまうのです。
結局、お金があろうと力があろうと、子どもだろうと大人だろうと、大切な人を前にできることは限られているのです。この悲しみ、この絶望。
だからこそ、生きて一緒にいる時間がキラキラと輝いているのです。大切にしないといけないものは、素直に今すぐ大切にすればいいのに、なぜ素直になれなかったり、甘えてないがしろにしたり、後になってから気づいたりするんでしょうね。まったく人間は「おろか」。
悲しいけれど、みんな一度はきっとそんな想いを痛切に感じたことがあるのではないでしょうか。
作者・又吉直樹氏は、デビュー作『火花』より前にこの話を書き始め、『火花』と同時に執筆しようとしていたそうです。しかし、自分と同じ職種のお笑い芸人を主人公にした『火花』よりも、劇団員を主人公にしたこの『劇場』のほうが調べることが多く時間がかかることに気づき、デビュー作は『火花』、二作目が『劇場』となったとのこと。
ネットの感想では、『火花』よりも『劇場』のほうが文章が難しかったというものがありました。しかし、普通なら見逃してしまいそうな視線の先の描写や、繊細で絶妙な例えには何度もハッとさせられます。永田の一人称で書かれている本なので、その文章がそのまま永田自身のセンスをも表しているよう。
この文章力こそが「まったく評価されない演劇人」である永田に、実は周囲が見逃している才能が秘められているのかもと感じさせてくれる由縁となっているのではないでしょうか。つまり、又吉直樹氏自身の感性が、魅力そのものになっているからこそ、ダメ男ながらかろうじて物語の主役として「永田」という存在が成立しているのかも…。
そのぐらい、又吉直樹氏の文章表現の素晴らしさに惹きこまれてしまいました。
又吉直樹プロフィール
又吉直樹氏は、現在放映中のNHK朝の連続テレビ小説『舞いあがれ!』で、主人公が通う古本屋「デラシネ」の主人というぴったりの役柄を演じていますね。『舞いあがれ!』はとても密度が濃いドラマで、毎朝私も楽しみに見ています◎
又吉直樹 (またよし・なおき)1980年大阪府寝屋川市生まれ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑い芸人。コンビ「ピース」として活動中。2015年「火花」で第153回芥川龍之介賞を受賞。著書に、『第2図書係補佐』『東京百景』などがある。
新潮社『劇場』特設サイトより
『劇場』のまとめ
今回は、お笑いコンビ「ピース」としても活躍中の、芥川賞作家・又吉直樹による『劇場』を紹介しました。上京して劇団を旗揚げしたものの、酷評され劇団員にも見放されてままならない日々を送る主人公・永田と、彼を優しく全肯定しながらも都会の生活に疲弊していく沙希。二人の切なく心に迫るラブストーリーです。胸底を終始こすられるようなひりつく痛みを伴う、又吉節ともいうべき文章にも注目です。
- 夢を追っている人、かつて追っていた人
- 心理描写が濃い文学作品が好きな人
- 一体恋愛とは何か? 考えている人
上記のような方に、おすすめしたい作品。
純粋だからこそ苦しむ二人に、諦めた夢や、大切な人を前にした無力感、愛することの幸福感と絶望感………、あなたは一体何を見るでしょうか?
ぜひ『劇場』の幕を開いて、繰り広げられるストーリーにひたってみてください。
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それではまた次の本でお会いしましょう。
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