「あまりに美しいものは恐ろしい」――。
そう思うことはありませんか?
私は仕事でもプライベートでもよく京都にも行きますが、その度に京都の美しさに魅了されながら、京都の奥深さ、底知れなさにゾクリとするのです。
千年もの間、日本の都であり続けた土地だからこそ、人間の喜びも悲しみも嫉妬も諦観も薄昏い靄(もや)となって、観光客で賑やかな大通りの脇の奥まった薄暗い路地に、静かに揺れる暖簾の奥に、秘めやかに凝(こご)っているような気がして…。
今回紹介する原田マハの『異邦人(いりびと)』は、そんな美しくも妖しい魅力を放つ京都を舞台にした<第一級の名作>です。
東日本大震災後の東京から京都に避難してきた妊娠中の女性という、すぐそばにある現代世界を描きながら、千年前の都で生まれた日本一のベストセラー小説「源氏物語」を下敷きにした、今様「源氏物語」でもあるという、幾重にも重ねられた女性の衣装のように濃厚な世界。
読後、きっとあなたも、長い時間をかけて熟成された上質なワインを味わったように酩酊してしまうことでしょう。
- ブログ管理人:hontoiru
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- 趣味は読書、歴史、カフェ巡りなど
それでは、さっそく紹介していきましょう。
『異邦人』はこんな人におススメ!
- 谷崎潤一郎などの美と官能の物語が好きな人
- 京都の奥深さや絵画に興味がある人
- 青い炎のような静かだけれどドラマチックな作品を読みたい人
「源氏物語」を読んでいない人も充分に楽しめますが、少しでも源氏物語を知っているとより一層この作品の凄みを味わうことができるでしょう。
『異邦人』のあらすじ
父が経営する東京の「たかむら画廊」で専務として働く篁(たかむら)一輝。
有吉美術館の副館長である妻の菜穂は妊娠しており、東日本大震災後に胎児への放射能の影響を恐れて京都に避難していた。
京都に滞在中の菜穂が、老舗画廊で一枚の絵と出会ったことから、それなりにうまくいっていたはずの一輝と菜穂の運命が狂い始める。時を同じくして、「たかむら画廊」が経営の危機に陥ってしまい…。
熟れ切った女の匂いを漂わせて娘・菜穂の夫である一輝に秋波を送る有吉克子や、審美眼をもつ菜穂の心を一瞬にして捉えた無名の若き画家・白根樹、京都画壇の大家・志村照山、など、京都と東京でそれぞれの人物の思惑が絡み合い、物語は思いがけない真実を開いてゆく――。
『異邦人』のレビュー
最初は資産家のわがまなな令嬢と見えた菜穂が、妊娠中の鬱屈とした中で自分自身を取り戻していき、最後は強く自分の運命に立ち向かおうとする姿に驚きました。
その姿は、高山辰雄の「抱く」という作品が使われた表紙そのまま(文庫本の表紙はムンクの「月光」)。
さすがニューヨーク近代美術館に勤務し、キュレーターとして活躍されている原田マハ氏だなあと感動してしまいます。作品を読むことで絵との出逢いにもなるというのも、原田マハ氏の作品から得られる素敵な体験でしょう。
『異邦人』は、「東日本大震災の混乱の最中に出産を控えた女性」を主人公とした極めて今日的な物語とも、「美に翻弄されるアーティストとその支援者たち」を主軸にした物語とも言えます。
しかし本当の主役は「何でもあるはずの東京には絶対にない、全てを飲み込む京都の美しさと怖さ」なのかもしれません。
しっとりと肌にまとわりつくような京の空気感、人を物狂おしくかりたてる魅力、そして美術至上主義者と本質はわからないまま利害でむらがる人々と。
百億円を下らないという世界的名画の数々を、なぜ祖父が菜穂に残したのか……。
その理由が分かるとき、胸が熱くなります。
「源氏物語」との関連で思ったこと
私は何の予備知識もなく「異邦人」を読み始めたため、物語の冒頭に「源氏物語」からの一節があったにも関わらず、5分の1ほど読んだ段階でこの作品が「源氏物語」を踏まえて書かれていることにようやく気づいたのでした。
ちょうどそれは葵祭の章。なるほど、仕事とはいえ、銀座のクラブで資産家を接待したり、蒐集家の要望に応じて高額なヴィンテージ・ワインを惜しげもなく開けたり、祇園や上七軒でお茶屋遊びをするような生活を送っている篁一輝は、現代の「貴族的生活者」で今様光の君といえます。そして資産家の令嬢である菜穂は光源氏の正妻・葵上、その母である年上の艶めいた美貌をもつ克子は光源氏に上流階級のたしなみを教える六条御息所……、ならば儚い美しさで光源氏の忘れられぬ想い人となる夕顔はあの人か…。
と思いきや、蛍の章ではその役柄がすっかり入れ替わっていることに気づきます。夕顔だと思っていた人が夕顔の忘れ形見である玉鬘であるなら、その玉鬘に一目ぼれする兵部卿宮が菜穂で……、ならば玉鬘を独り占めしたいくせに見せびらかそうとする中年となった老獪な源氏の大臣(おとど)はあの人か……。
いやいや、本当の源氏の君とは……?
単純に光源氏はこの人物で、という見立てではなく、物語の進むに合わせて、源氏物語の中の登場人物たちの役割が今度はこの人に、次はこの人にと割り当てられ変化していく。『異邦人』という作品は菜穂が身ごもって出産するまでのいわば十月十日ほどの短い期間を描いた物語なのに、光源氏の一生を描いた「源氏物語」の長い物語のエッセンスが流れているのです。
名作を下敷きにした作品はたくさんありますが、この『異邦人』ほど元の「源氏物語」を知っておいた方がよいと思った作品はありません。
平安時代の女性の装束のように、何重にも重ねられたからこその美しさがこの作品の真骨頂だと思うからです。
とはいえ、私も「源氏物語」に精通しているわけではありません。詳しい方なら、もっと深読みができるはず。私もこの「異邦人」がきっかけで、改めて「源氏物語」ほか古典の世界へ興味がかきたてられました。
原田マハのプロフィール
原田マハ(はらだ まは)
1962年、東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。伊藤忠商事、森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館に勤務ののち、2002年、フリーのキュレーターとして独立。05年、『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞。12年『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞。著者に『あなたは、誰かの大切な人』(講談社)、『すべてのドアは、入り口である。現代アートに親しむための6つのアクセス』(祥伝社/共著)、『奇跡の人』(双葉社)、『太陽の棘』(文藝春秋)、『翔ぶ少女』(ポプラ社)、『独立記念日』(PHP文芸文庫)など多数。
『異邦人』<著者略歴>より
『異邦人』のまとめ
打ち水された石畳、華やかな舞妓さんの姿、有名な寺院や庭園……。
葵祭や祇園祭といった歴史ある祭に全国から世界から人が押し寄せるというのに、その奥にはけっして「異邦人(いりびと)」を受け入れない扉がある。
湿り気のある京都の町の風情が、なんとも狂おしく魅力的に描かれる原田マハの「異邦人」。終盤はサスペンスの香りも漂います。
最後に一輝の心に浮かんだ「枕草子」の「遠くて近きもの~」の一節が、京都のイメージそのもので胸をしめつけられました。
京都に対する異邦人のほかに、「美」の世界に対する異邦人という意味も込められているのかもしれないと思いましたが、そうなればこの「異邦人」とは……。
読後も考えが尽きず、どなたかと感想・深読み会を開いてみたくなります笑
- 谷崎潤一郎などの美と官能の物語が好きな人
- 京都の奥深さや絵画に興味がある人
- 青い炎のような静かだけれどドラマチックな作品を読みたい人
におすすめの一冊です。
京都の底知れぬ魅力と、運命に立ち向かう<二人の女性>の物語を、たっぷりと堪能してみませんか?
それではまた次の本でお会いしましょう。
いつも本と一緒。本と いる。
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